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ガンガーが教えてくれたもの~インド3日目前編~

5月15日(前半)

昨日購入した国内航空券を握り締め、早朝5時半に空港へ向けて出発する。

次なる目的地は、インドで最もはずせない訪問地:バラナシ

3000年以上の歴史を持つヒンドゥー教最大の聖地である。

この街の魅力は、何と言ってもガンガー。

ガンガーとは、あの有名なガンジス河のこと。

川そのものが神格化された女神Gangamataji(母なるガンガー様)として崇められている。

たくさんのヒンドゥー教徒が川の水を浴びる清める行為である"沐浴"をしている川でもある。





どんなインド経験者でも、インドに行くならここに行くべき!

というこの地。

そこを行かないわけにはいかない!と、国内航空券を買ってまでやってきたのである。





この街にやってきて、一瞬にしてムンバイとの違いを感じた。

人々の様子も、空気も。

同じ国とは思えないほどの違い。

ムンバイでは味わうことが出来なかった、想像していたインドそのものの様子がそこにあった。





f0065556_2222296.jpgまず始めに面食らったのが牛。

牛を神聖視するヒンドゥー教徒の多いインドでは、

街中に牛がいるというのを話には聞いていたが、

本当に牛だらけなのである。

後で聞いた話なのだが、

神聖なる牛を食さないヒンドゥー教徒は、

雌牛は牛乳の重要な供給源として飼い牛にするが、

それができない雄牛は、野良牛として街を徘徊するのだそうだ。

つまり、街中で出会う牛たちは、ほぼ100%が雄の野良牛ってことになる。





想像以上に多く、そして大きな野良牛たちの横をおそるおそる通りながら街の奥へと進んでいく。

1泊することを決めていたこの街、まずはこの大荷物を降ろさなくては!と、

インド経験者の1人でもある妹が紹介してくれた『フレンズ・ゲストハウス』 へ。

多くの日本人バックパッカーが利用する、現地の家族が経営する小さな宿。

迎えてくれた宿の姉さんも優しい感じで、何よりも3人で300Rs(=810円)の安さ!

さらに思ったよりも広い部屋に満足し、3人一致で即決。

荷物を降ろしてガンガーの沐浴場であるガートへと向かったのでした。






ガンガーでは、沐浴しているヒンドゥー教徒はもちろんのこと、

世俗を捨て遊行する修行者であるサドゥー。

何かの事故が原因でであろうか、手足のない者。

そして、犬、牛、ヤギ、猿。

みながこの神聖な河のほとりで、何するわけでもなく存在していた。





たくさんあるガートの中でも、宿から最も近いガートのほとりに座って穏やかな川の流れを眺めていると、

子供たちが無邪気に川遊びをしていた。

その子達にカメラを向けると、みんな大騒ぎをしてカメラに向かってポーズする。

そしてどんどん撮ってくれとばかりにアピールする。

さらにご丁寧なことに、一枚撮っては川から上がって写真を確認し、また一枚撮れとアピールする。

そんなこんなで20枚近くに。

インドの人は自分大好き人間が多いようだ。

f0065556_22562589.jpgf0065556_22564117.jpg
f0065556_22585039.jpgf0065556_2259429.jpg

そして川のほとりでも・・・

f0065556_156137.jpg


最初は楽しく写真を撮っていたが、あまりのしつこさとキリのなさに正直うんざり。

今後インドではむやみやたらにデジカメを出さないことを決意した。







f0065556_213147.jpgガンガーの岸辺には、なんと84ものガートが存在する。

いくつものガートを岸辺に沿って歩き見ながら、

そろそろボートに乗ろうかと意見がまとまる。

川といっても当然日本の川とは全く違う、幅の広い緩やか流れの川。

その上を手漕ぎボートで静かに進む。

ボートに乗り川の中ごろまで進むと、

ついさっきまでの喧騒とは別世界のような静寂が感じられた。

そんな静寂の中で、聖なる川としてのガンガーを肌で感じようとしていたその時である。



『おーい!見てよ!あれ犬の死体なんじゃないの!??』



上流から流れてきた白い物体に3人の目が釘付けになる。

物体が船に近づくにつれ、その見解が間違っていたことに気付く。



『えっ。もしかして!』



衝撃であった。



なんとそれは赤ん坊の死体。



3人がみな犬の死体だと信じていたものは、近くに来てやっとその姿形がわかり、

思わず息を呑むことになったのである。





ヒンドゥー教の教えでは、人生の最後をガンガーで終えることが輪廻からの解脱を得られるという。

人生を全うできた者は、火葬され、その遺灰をガンガーに流される。

しかし、そうでない者、例えば赤ん坊のうちに死んでしまった者、病気で不意に生涯を終えてしまった者などは、火葬されずに水葬されるのである。

ガンガーに行くと、そのように水葬された者の死体が流れてくるということは、ここに来る前から周知のことであった。





しかし、犬の死体だと確信していた分、この不意を突かれた驚きの現実に衝撃を受けた。

そんな僕たちの様子を見たボート漕ぎのおっさんが、



『もっとたくさんの死体が見たいか?』



と聞いてきた。

一瞬戸惑いつつも、湧き上がる好奇心には勝てず、見ることを決意。

そしてボートは対岸へとゆっくり進みだしたのであった。





"左"を不浄のものとするヒンドゥー教。

物を食べるときは右手、排便後の後始末は左手というのは有名な話であるが、このガンガーでも同じ精神が存在している。

川の上流に向かって"右側"の岸は、街が栄えているのに対して、"左側"の岸は、不浄の地とされ、ただ砂地が広がっているのみ。

もっと死体を見たいか?と聞いたおっさんは、その不浄の地である対岸を目指してボートを漕ぎ始めたのである。





ボートが岸に近づくに連れて、少しずつ見えてくる光景。

それは想像をはるかに超える光景であった。

岸辺のわずか100mほどの中に、12,3体の死体があったのである。

死して時間が経っていないものは、たくさんの野犬がその肉を食し、

死して時間が経っているものは、腐敗し、白骨化していた。

そして、厳しい暑さによって腐敗した死体の匂いまでもが漂ってくる。

ついさっきまでは敬虔な信教者が沐浴し、無邪気な子供たちが遊んでいた、同じ川なのに。





先ほどの赤ん坊の死体を見たときのような不意さはなかったけれども、その想像を絶する光景と匂いに、自分の心臓が高鳴るのを感じた。

目を反らさなかったというより、反らせなかったと言った方が正しいのかもしれない。

穏やかなガンガーの流れと共に、その光景をしばらく見つめる。

始めは高鳴った心臓も、少しずつそのガンガーの流れのように穏やかになっていく。





この人たちはこれで本当に幸せと言えるのだろうか?

腐敗した死体を目の前に素朴な疑問が生まれた。

ヒンドゥー教色の強いこの地に生まれ、育った彼らの心境など、日本人旅行者である僕が理解しようなんて到底無理なこと。

生と死の境界線を感じさせないこの河で、ただただ圧倒されるのみであった。





f0065556_1526140.jpgそして次に向かったのは、火葬場として有名なガートであるマニカルニカー・ガート。

毎日たくさんの人々がここで焼かれているのだという。

ここでもカースト制度が浸透しており、身分によって火葬される場が違っていた。

廃止されたはずのカーストが、死後も切り離せないのである。

高台に登り、その様子を眺める。

ここでも無邪気に子供たちが遊んでいた。

火葬場の写真は撮影ができないので、その付近の建物を撮ってみた。





高台の上までも、死体を焼いた黒煙が舞い上がる。

先ほどの"死の匂い"とはまた別の"死の匂い"が鼻を突く。

沢木耕太郎さんが著書『深夜特急』の中の一節で感じた"死の匂い"とは、このことであろうか?

彼がここになにするわけもなく通い続けたのも、なんとなくわかるような気がした。





死というものを間近に感じることによって生きていることを強く感じたガンガー。

ガンガーが生の大切さということを教えてくれていたような気がした。
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by mitsuhi-low | 2006-05-26 15:48 | ☆★海外旅行☆★